≪プロフィール≫
  西田井 恭子/Kyoko Nishidai


食べたい!でも、くびれたウエストが欲しい! 痩せたい!でも、きつい運動はやりたくない!キレイになりたい!身体の不調もなんとかしたい!そんなわがままをまとめて叶える《くびれるご飯アドバイザー》     
1974年1月生まれ 島根県出身  
島根大学在学中よりスポーツクラブにてインストラクターの経験を積む
 
2004年下関での活動スタート
運動指導歴25年
 
様々な運動指導を行う中、結果の出る人、出ない人がいることに疑問を持つようになる。
 
そこで出会ったのが、脳と細胞レベルで考えられた新しいストレッチ《セラサイズ》と「味」で瞬時に身体が変わる《味感学®》。
 
《セラサイズ》《味感学®》をベースに、【脳】【細胞】【FSEM(五感効果)】を使い、「その場で身体の変化を実感できる!」がモットー。
 
その人に合った、食べてウエストをくびれさせる《くびれるご飯》を見つけ、くびれたウエストと不調改善を同時に手に入れるセッションが得意。
 
 
《保有資格》
健康運動指導士
FSEM上級講師
FSEMダイエットトレーナー
セラサイズ正規初級インストラクター その他多数        
 
《主な活動内容》
パーソナルレッスン、セミナー講師
健康体操教室・セラサイズ教室・親子ダンス教室主催
ウエストジャパン看護専門学校非常勤講師(保健体育)
健康講座講師・保育園での体育指導 等
 
その他の資格を知りたい方はこちら
  
《開催セミナー》
合う味ダイエット®講座
自分の身体に合うものを見つけてもっとキレイになるセミナー
ウエストくびれMAXセミナー
Venus Reflexology (ヴィーナスリフレ)初級講座 等
 
《趣味》
料理と競技かるた


 





ここからは長いので、お時間のあるときにどうぞ(^^)

【今日までのヒストリー】

特に運動が得意というわけではなかった幼少期。
私の通っていた大田市立大田小学校で、器械体操部に入ったことが、私の運命の始まりでした。
壁倒立さえ怖くてできなかった私ですが、とにかく一生懸命練習しました。
一生懸命練習して出来るようになったとき、本当にうれしかったのを今でも覚えています。
小学6年生では、大田市の大会で総合優勝しました。
ちょっと天狗になり、中学校でも器械体操部に入部しました。
私の器械体操人生のピークは中学1年生だったと思います。
基本怖がりの私は、一度「怖い」と思うと、さっきまで飛べていた跳び箱も飛べなくなり、平均台でも、大技なんて出来ませんでした。
最後の最後の大会で、急に跳び箱が怖くなって、飛べなくなった私は一人予選落ちして、バスで泣きながら帰宅したんです。悔しかったなぁ…
そこで私は「私に向いているのは器械体操ではない!新体操だ!」と、なぜか思いこみ、高校では週1回、土曜日だけ市の体育館で新体操を始めることにしました。
始めたと言っても、教えてくれる先生も器械体操しか知らなかったので、2人で試行錯誤での練習。
当然伸びるわけありません。(当時は一生懸命やってたんですよ!)
週1回しかない練習なので、1年生の時は男子バレー部のマネージャーもやってました。
1年の冬にマネージャーをやめてプラプラしていたら、クラスの男の子に「女子がおらんけ、お前、卓球部入れ」と言われ「いいよ~」って、簡単に卓球部に入りました。
公式戦では1勝という、弱い選手でした。
普通、こんな成績だと、「体育」の道に進みたいなんて、思いませんよね。
今考えても不思議ですが、「社会体育の道に進みたい」と思ったんです。
島根大学教育学部保健体育教員養成課程に入学することができました。
これも、奇跡ですね(笑)
受験種目に、「ダンス」「器械体操」があったのが、私の運の強さです。
表現力に定評があったので、勝手にダンスは大丈夫と思いこんでました。(大きな間違え)
器械体操も、基本的なことだったので、これはバッチリでした!
もう一つ、選んだ種目は、バスケットボール。3歩歩いた苦い記憶が…
それでも、合格したので、運が良かったんでしょう(笑)


大学時代はモダンダンス部(入学当時は創作ダンス部)で頑張りましたね~。
ちなみにニックネームの”ぴん”はダンス部の先輩がつけてくれました。
後輩たちにはピンクの“ぴん”(ひらがなにこだわってます。可愛いから)と説明していますが、 本当は・・・(割愛・笑)
大学時代は本当にいろいろなことが多すぎて・・・
旦那さんとの出会いも、大学時代♡(割愛)
もう一つの運命の出会いは、大学1年の終わり。
同級生の男の子が「スポーツクラブのバイトを辞めたいから、代わりを探している」と声をかけてくれました。
そこから私の運動指導者の一歩が始まったんです。

初めてストレッチのクラスをスタジオでやった時のことは今でも忘れられません。
うまくいかなくて、立ったり、座ったり、寝たり、また立ったり。
とにかく流れもひったくれもあったもんではありません。
スタジオの外から社員の方が「これやったか?」みたいにストレッチを指示してくれたり。
とにかく、あの時のお客様には今でも謝りたいです。いえ、今謝ります。
「修行不足で、申し訳ありませんでした<(_ _)>」
終わった後、主任から「どうだった?」と聞かれ、こうだったと説明すると「そんなんでお客さんの前にたったらダメやん!」と、ダメだしされ、泣きました。
でも、怒られて当たり前のことなんです。例え、バイトでもお客様には関係ない。
だから、はじめて人前に立って指導する時の新人の気持ちは、めっちゃわかる一方で、人前に出る前の準備の大切さも知っています。
すべては、レッスンを受けて下さるお客様の満足度を上げるために必要なことなんです。
今でも、私が大切にしている部分です。
「お客様の希望に答える。希望以上のことを提供できること。」私のこだわりの部分でもあります。

大学4年生になり、進路をどうするか。
教育学部なので、当然教師という道もあるんです。
両親は教師になって欲しかったのかもしれません。
なので、一度は教員採用試験も受けましたが、教員への想いが中途半端な私が受かるわけもなく。
私の本命であった、バイト先でもあった(株)ザ・ビッグスポーツに就職することになりました。
あ、ちゃんと試験を受けに大阪の本社まで行きましたから。

1年松江勤務したのち、2年ほど和歌山市のスポーツクラブに転勤し、再度松江に戻り1年ちょっと。
このスポーツクラブ時代で、また多くのことを学ぶのです。
特に「サービスとは何か」を徹底して学びました。指導技術・知識だけではなく、ここを学べたのは私にとって大きな財産の一つです。
ここで、商品は「私自身」なのだということを自覚するようになります。
Jrスイミングや、エアロビクスなどのスタジオレッスン、ジムでのマシーン指導やトレーニング方法など、インストラクターとしての基礎を築いた時代です。

(ちなみに旦那さんとは和歌山にいるとき、松江にいる旦那さんと遠距離結婚をしました♡)

スポーツクラブを退職し、長女を出産しました。
長女出産後、医療事務の資格を取り、フィットネス業界から引退を決め、就職先を探していました。
私がとった医療事務の資格は「医科」だったのにもかかわらず、勘違いして歯医者さんに履歴書を送ってしまいました。
連絡があった時に気付き、撤回したものの、流れで歯科助手として就職しました。
今思えば、わずか5カ月ではありましたが、歯の大切さを、本気で知った大切な時間でもあります。

その後長男を出産。

たまたま入った育児サークルで、ママのためのエアロビクスをすることに。
そこから育児サークルで、親子体操を担当するようになりました。
ここでの経験が、今での親子体操の基盤になっています。

2年後、旦那さんの出身地である現在の活動拠点でもある下関にやってきました。

いったんフィットネス業界から引退した私ですが、下関で仕事を探すのにあたり、もう一度やってみたいと思って、タウンページでリフレスポーツクラブを見つけ、電話しました。
バイトとして採用してもらいましたが、しばらくして次女を妊娠。
8カ月まで現場に立たせてもらい、出産後半年で復活。
妊娠中は、メンバーの皆様に「お腹の子は男か女か」を聞いて回りました(笑)
8:2で断然男の子予想でしたが、生まれてきたのは女の子でした(笑)

次女出産後、5ヶ月くらい飛び込み営業のバイトもしました。
週3回1時間以上下関の街を歩き回りました。
たまたま旦那さんが「バテないように」とお酢を買ってきてくれて、飲みながら歩いていたら、産後の身体は高校生時代の体重まで落ちました。
大学生時代より、3~5キロ減りました。(大学生、暴飲暴食した3か月がダメだった…)
ここでなぜお酢で体重が減ったのかは、今お伝えしている《味感学®》で謎が溶けました。

健康運動指導士、介護予防運動指導員などの資格を取り、活動の場はスポーツクラブだけでなくウエストジャパン看護専門学校の保健体育の非常勤講師や、介護予防教室など、 行政の仕事も少しずつ増えていきました。

いろいろな出会いがあり、学ぶ場も増えました。

ストレッチポール、ひめトレ、スクエアステップ、いろいろな資格を取りました。

その中でも、運命の出会いは、なんといっても《セラサイズ》《味感学®》《Venus》

まず《セラサイズ》
たまたまネットで見つけたんです。
「効果が実感できない場合全額返金」に魅かれ(笑)、DVD購入。
そこで、効果を実感し、続けているとき届いたメルマガ。
「東京青山での中級クラスの受講料を来月から値上げします。今ならこの値段が据え置き!」これに魅かれ、意を決し、東京までレッスンを受けに行きました。
セラサイズ開発者の小川清貴さんとの運命の出会いです。
「わざわざ下関から来てくれるのなら」ということで、特別講座も受講することができました。
そこで「トレーナーとしてやってみませんか?」と声をかけて頂き、セラサイズのトレーナー1号になったという訳です。

《味感学®》
開発者の庄島義博さんとの出会いは、実は味感学®ではないんです。
一番最初はライティングの講座だったんです。
庄島さんの講座を繰り返し受講する中で、ついに味感学®の講座が登場しました!
初めて受講した時の、あの衝撃!!
トレーナーとして今まで学んできたことが全部吹っ飛ぶような、常識を覆された瞬間でした。
学べば学ぶほどに深さを知ります。
学びを深かめ、庄島さんの想いに共感し、多くの方にお伝えしたいと思い、講師になりました。

《Venus Reflexology》
庄島さんのお話の中に度々登場していた、開発者の露木俊治さん。
受講しているとき、実際に施術してもらったときのあの変化!
他の受講者の変化も目の当たりにし、私自身も体感し、すっかり引き込まれてしまいました。
短時間で効果を体感できるのが魅力だと感じました。
60分かかる施術が10分で同じ効果が期待できるとしたら、残りの50分、別のことに時間を使える。
これは、多くの方が喜ばれるのではないかと思ったんです。
何度も再受講し、初めての方にアドバイスできるようになると、教え伝える楽しさを知りました。
Venus Reflexologyを施術できる方が増えるといいな、と思い、講師になりました。

そして、今。

「先生に元気をもらいました!」といわれることが多くなりました。
であった皆様が、本気で笑って下さいます。
私は皆さんにいろいろなことをお伝えするのが本当に楽しいです。
「変わっていく」様子を見るのが嬉しいです。
楽しそうなお顔を見れること。笑顔を見れること。
これが私の仕事をするモチベーションにつながっています。
なので、私もきっと笑顔全開なんです(^^)
本気の、心からの笑顔は伝染します。
あなたの笑顔が、その先の誰かに伝わりますように・・・

これからも、きっと私の学びは終わりません。
これからは広げる、というよりより深めるという学びになると思います。
そして、それをどんどんお伝えしていこうと思っています。

私は100歳までこの仕事をしていく予定です。
そして100歳を超えたら、私の余生が始まります。
行きたいところに、行きまくって、食べたいものを食べまくって、遊べるだけ遊びたいと思います。
20年後、3日か1週間くらい寝込んで、主治医の先生に「老衰」の診断をしてもらって。
世界中にいるであろう子・孫・曾孫を全員呼んで。
一人ひとり全員にお別れのあいさつをして。
みんなに看取られてあの世に行く予定です(笑)
子供たちは大変です。
「親より先に死んではいけない」と言ってあるので。
長女は93歳くらいでしょうか(笑)
私のために泣いてねって言ってます。私は笑って逝くから。

そこまでやれたら、本物かな、と思っています。
本物を目指し、今を本気で生きています。

これが、西田井 恭子です。

ここまで読んだあなたはすごい!(笑)
長文、を読んで頂き、ありがとうございました。

こんな私です。改めまして、どうぞよろしくお願いいたします<(_ _)>

  

合う味ダイエット講座in下関




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